ぶんすいおいらん道中

大河津分水路の偉業を称え、多くの桜(ソメイヨシノ)が植樹されました。「ぶんすいおいらん道中」はその桜があまりにも見事なため、訪れる観桜客に喜んでいただこうと地元の有志がはじめた仮装行列がはじまりといわます。絢爛豪華な衣装に身をつつんだ「おいらん役」が約70人もの付き人を従え、大河津分水桜並木と分水地区の中央商店街・地蔵堂本町通りを練り歩きます。また大河津さくら公園には、撮影用おいらん「染井吉野太夫」が登場します。

桜太夫

信濃太夫

記念ポスター



大河津分水とおいらん道中

 

日本一長い川「信濃川」は、ひとたび豪雨ともなれば洪水となり、越後平野一帯は大水害に見舞われました。この川の洪水に苦しんだ先人達は、享保年間(西暦1716年~)に大河津分水の掘削を幕府に請願、その後200年もの間繰り返し、ついに分水工事が認められ、明治42年に本格的な工事が始まることとなりました。工事は22年の歳月と延べ1千万人の人力により、約10kmの大河津分水路が完成、可動堰と洗堰を操作することにより、本流には一定の水量を確保し、洪水時には下流域を守り、日本海へ流し出すことができるようになりました。

この大治水事業によって洪水の被害もなくなり、胸まで浸かる湿田を豊な穀倉地帯に変えることができました。大河津分水はまさに越後平野の守り神となったのです。

現在は、完成後80年が経過した旧洗堰に代わり、平成12年に通水が始まった新洗堰が大役を担っています。

 

そして、春、桜前線の到来とともに大河津分水を舞台に全国でも珍しい「分水おいらん道中」が繰り広げられます。県内外から例年100名を超える応募者の中から選ばれた「信濃」「桜」「分水」の3名の「おいらん」が絢爛豪華な衣裳に身を包み、高さ15cmもの三枚歯黒塗りの高下駄を履き、独特の外八文字の歩き方を披露。

また、道中には「手古舞」「新造」「かむろ」「舞妓」など総勢約70名にもおよぶ付き人を従えて、主役の「おいらん」をより艶やかに引き立てます。 平成17年からは観光客との記念撮影に応える「染井吉野太夫」が登場し、ますます華やかに。4名のおいらんが、皆様に極上の時間をお届けいたします。