越後くがみ山 酒呑童子行列

日本三大妖怪、最強の鬼と謳(うた)われる「酒呑童子」。

誕生伝説の残る燕市では、国上山の麓(ふもと)に「酒呑童子神社」を建立(こんりゅう)し「酒呑童子」を【人々の縁を結び、願いを叶える】存在としてお祀(まつ)りしています。

また新しいイベントとして、毎年9月に「越後くがみ山酒呑童子行列」を開催し、参加者や来場者が鬼仮装して行列を歩くことで人々の心願成就を祈願しています。


【越後の国・酒呑童子伝説】

その昔、桓武天皇の皇子・桃園親王が越後に下り、従者としてやってきた石瀬俊綱が砂子塚(現在の燕市分水地区砂子塚)に城を築きました。そして数代後、俊兼が子宝に恵まれなかったため、信濃戸隠山の九頭竜権現に祈願したところ妻が懐妊します。16ヶ月後に男児が生まれ外道丸と名付けらますが、大きくなるにしたがい乱暴者となり、国上寺に稚児として預けられました。

 

外道丸はまれにみる美男子だったため、近郷近隣の娘たちから恋文が山のように届きますが、それを開くことなく修行に励みました。ところがある日、外道丸から返事の来ないことを悲観した娘が自分の命を絶ちます。そのことを知らされた外道丸が、恋文の詰まったつづらを開けると白色の煙が立ち昇り、外道丸は鬼の顔に変わ果てます。

 

鬼となった外道丸は酒呑童子と名乗り、丹波の大江山に住み着き夜な夜な都に現れては姫をさらい、宝を強奪するようになりました。そして、安倍晴明の力により酒呑童子の悪事が判明し一条天皇により酒呑童子討伐令が出されました。この時に討伐に当たったのは源頼光と頼光四天王と呼ばれる渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武らです。

 

大江山に入った源頼光一行は山伏に化けて鬼の根城へ入っていき、酒呑童子から大いにもてなされました。そして、鬼たちが寝静まったところを見計らい鬼たちを討伐します。酒呑童子は源頼光により源氏の宝刀「髭切丸」で首をはねられますが、首だけになっても兜に噛みつき「鬼は横道などせぬものを(鬼は騙すことはしないというものを)」と言い残して息を引き取りました。

 

その後、罪を悔いた酒呑童子は首塚大明神として首から上の病を直したと言われています。